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読売新聞の記事から

 投稿者:こーちゃん木村  投稿日:2012年11月 4日(日)22時19分53秒 55.125.150.220.ap.yournet.ne.jp
返信・引用 編集済
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ブルーグラス45
①出会いは元町/全米ツアー

夕暮れの夏空に向かって伸びる木々に囲まれ、ギターやバンジョー、フィドル(バイオリン)の音色が共鳴する。8月上旬、三田市の山あいの公園。アメリカのカントリー音楽の一種、ブルーグラスのフェスティバルが3日間、開かれ、全国各地から多くのファンが集う。40年以上前から続く夏の風物詩だ。
 この地が「ブルーグラスの聖地」と呼ばれることも、国内ではマイナーなこの音楽の継承に、阪神間の演奏者らが重要な役割を果たしてきたことも、知る人はあまりいない。
 「よく、ここまでやってこれた」。宝塚市で音楽事務所を経営し、フェスを主催する渡辺敏雄(66)と弟の三郎(62)は目を細める。渡辺兄弟ら仲間6人でつくるバンド「ブルーグラス45」は、結成45年を迎え、メンバーはみな還暦を過ぎた。
     ♪ ♪



1971年6月、長い黒髪の5人の若者が米国の空港に降り立った。
 渡辺兄弟とリーダーのジョッシュ大塚(68)、弟の章(64)、廖学誠(りょうがくせい)(64)。いずれも阪神間の20歳前後の学生ら。同行できなかった李健華(りちゃんふぁ)(65)を含めた6人で「ブルーグラス45」をつくって4年目のことだ。
 大阪万博に沸く前年、観光で来日していた米国人のレコード会社社長が、ライブ喫茶で演奏するメンバーに目をとめた。「アメリカにツアーに来ないか」と、突然夢のような誘いを受け、5人は初夏の大陸を3か月間、マイクロバスで寝泊まりし、全米各地のイベントに参加して回った。
 神戸・元町のライブ喫茶「ロストシティー」でメンバーは出会った。世の中は「70年安保」に揺れていたが、6人は、友人たちがマイクで演説する姿にどこか違和感を感じていた。「楽器を弾くのが自分たちが生きてる理由だった。ロストシティーは僕らにとっては『アジト』だった」と、章は話す。
 渡辺兄弟も60年代後半から「ロストシティー」に通うようになった。兄・敏雄がブルーグラスを初めて耳にしたのは中学時代にラジオから。軽快な弦楽器の音色が魂を揺ぶった。弟・三郎は、兄の目を盗んで聴いたレコードに衝撃を受けた。「音の塊が体に飛び込んできた」。そのとき部屋の窓越しに見た新緑の田園風景の美しさを今も忘れていない。
 兄弟は、見よう見まねで楽器の弾き方も覚えた。そして、人を介して大塚兄弟や中国系の廖、李らと出会い、67年、「45」を結成した。船員、米軍人、観光客ら、港町の小さな店を毎夜、埋め尽くす米国人客の拍手と指笛が一流バンドへと育て上げた。
 時代も彼らを後押しした。楽器は、裕福でない普通の学生でも手が届くようになっていた。学園紛争の前後に、体育会系の上下関係が崩れ、趣味でつながるサークルが次々に誕生した。年齢にかかわらず意見し合える空気が6人には心地よかった。
     ♪ ♪
 全米ツアーは好評だった。「東洋の少年」と米国の伝統音楽との組み合わせは物珍しさも手伝い、人気を集めた。社長からの注文は一つ。「笑顔だ。歯を見せて演奏するだけでいい」というショーマンシップ。ぎこちない笑顔はやがて、自然になり、トレードマークの「45スマイル」が完成する。レコードもよく売れ、サインもねだられた。「ジャニーズみたいでした」とジョッシュは懐かしむ。
 ブルーグラスの大物、ビル・モローとも同じステージに立った。3か月という時間は、20代の若者が本場の空気を吸収し、成長するのに十分な時間だった。だが、演奏に対するそれぞれの考え方の違いも表れ、隙間風が吹き始めた。
 帰国後、誰も「続けよう」とは言わなかった。そして、メンバーはそれぞれの道を歩み始める。全米ツアーがまるで真夏のかげろうだったかのように。(敬称略)
(メモ)ブルーグラス 米国南東部の山岳地帯発祥のカントリー音楽。バンジョーやマンドリン、フィドル(バイオリン)など弦楽器で奏でる。1972年に始まった「宝塚ブルーグラスフェスティバル」(三田市波豆川で開催)は全国で最も歴史がある。
(2012年9月23日  読売新聞)

1971年の全米ツアーから帰国後、バンド「ブルーグラス45」のメンバーは、夢から覚めたように現実と向き合い、職を探した。
 渡辺兄弟の兄・敏雄(66)(ベース)は会社に勤めた。だが、当時大学4年の弟・三郎(62)(バンジョー)はブルーグラスを仕事にしようと考えた。ツアーで培った人脈、学んだレコード販売のノウハウを生かし、音楽事務所を作りたいと。
 兄も賛同し、数か月後、宝塚市の住宅街の片隅に、日本初のブルーグラス専門の音楽事務所が誕生した。だが、当時の日本の音楽市場にこの音楽のジャンルはなく、「アルバムを買ってくれそうな仲間が100人いるか、いないか」。ビジネスになる目算はなかった。兄弟は裾野を広げるため、同市に近い三田市でのフェスティバルを始めた。
 脱サラして音楽事務所の社長に就いた敏雄は、アルバム販売だけでなく、プロデュースも手掛けた。4畳半2間のアパート暮らしの時期もあったが、「『精神的なぜいたく』を感じていたせいか、生活の苦しさは全く感じなかった」と言う。
 三郎は83年、フィドル奏者の廖学誠(りょうがくせい)(64)が始めた国内唯一のブルーグラス専門誌を引き継ぎ、編集長に就く。月明かりの下で密造酒を造る意味の「ムーンシャイナー」と名付けた。「楽でも、もうかる仕事でもないけど、好きなことができる喜びの方が大きかった」
    ♪ ♪
 秀才肌で、音楽の知識も演奏技術にもたけた「45」のリーダー、ジョッシュ大塚(68)(ボーカル、ギター)は、貿易や楽器販売の仕事に従事しながら、ブルーグラスを若者に教え、ほかの仲間とステージにも立った。
 高校時代から英語を学び、大学の軽音サークルの初代部長。全米ツアーでは通訳も務めた。心のどこかで「できる自分」を自負し、知らない間に周囲との間に壁を作っていた。
 だが、仕事に追われていた20年前、離婚して2人の子供を引き取ったときに初めて悟った。「料理も洗濯も、結局、何もできない自分がいた」。実は人と話すのが苦手で、いつも孤独だったことに気付かされた。「自然体で行こう」。肩ひじはらず、自分をさらけ出すようになると、仲間が集まりはじめた。
 マンドリン奏者のジョッシュの弟・章(64)は、帰国後、就職しようと10社を受けたが全滅し、米国に再び渡った。知人のレコード会社に雇ってもらい、パッキングの仕事で食いつないだ。その後も永住し、銀行で働き出した。80年代以降は、休日に米国の仲間とバンド演奏を楽しめるようになった。
 廖もサラリーマンになったが、「ツアーでさまざまな演奏者に出会ったことが忘れられない」と、再び渡米して音楽を学ぼうとしたが断念。電気屋や鍼灸師、喫茶店主と職を転々とし、ブルーグラスから離れた日々を送っていた。
 解散から24年たった95年1月。それぞれの人生を歩むメンバーたちを震撼させる出来事が起きた。(敬称略)
(2012年9月25日  読売新聞)

③震災経験機に再結成


1996年、再結成を記念して作成したCDアルバムの写真(前列左から李健華、ジョッシュ大塚、廖学誠、後列左から渡辺三郎、大塚章、渡辺敏雄)
 真冬の早朝、阪神大震災(1995年1月17日)が街を襲った。「ブルーグラス45」のメンバーは、米国在住の大塚章(64)以外の5人は、阪神間で暮らしていた。
 神戸市兵庫区の李健華(りちゃんふぁ)(65)の自宅マンションは激しい揺れで室内が散乱、倒れた棚が寝ていた息子をかすめたが、間一髪で逃れた。家族はみんな無事だった。外に出ると、焼け野原が広がり、消防のサイレンが鳴りやまなかった。
 李は、今も「45」ではサイドギターを担当する主要メンバーだが、唯一人、1971年の全米ツアーに参加しなかった。父親の貿易の仕事を継ぐために台湾に語学留学することになっていたからだ。帰国した72年にはグループは既に解散していた。
 李は震災後しばらく、仲がいい廖学誠(りょうがくせい)(64)の家に身を寄せた。がれきの街で李や廖が思ったのは「45」のメンバーのことだった。「みんな大丈夫なんやろか」
 「45」の仲間は全員が無事だった。「今を大切に生きよう。自分たちにできることはないか」。誰が言い出したのか、「再結成」は自然に決まった。海の向こうの章も同じ思いだった。
 「ワンス アゲイン フロム コウベ ジャパン(神戸・日本からもう一度)」。アルバムを制作し、震災翌年の96年に6人で米国と国内ツアーに出た。「45スマイル」でステージに立ち、元気な日本を伝えた。
     ♪ ♪
 その後は活発にライブ活動を続けはしないまでも、会うと決まってセッションするようになった。「今でもメンバーで集まると瞬時に昔に戻ることができる」と廖は再結成を喜ぶ。李も「『45』は青春の思い出。バンドでやらないと意味がない」。
 そして昨年2月、朗報が舞い込んだ。宝塚市で音楽事務所を経営する渡辺敏雄(66)がプロデュースしたブルーグラスのアルバムが、米国音楽業界の最高峰グラミー賞候補作に挙がったのだ。受賞は逃したが、40年間、日は当たらずとも「賞に値すべき音楽」と信じてきた活動が証明されたことを、メンバーで祝った。
 「ブルーグラスの魅力は世代を超えて知らない人ともセッションできること」と廖。「ジャズやクラシックに匹敵するこの音楽に触れるチャンスを、若者に与えたい」と渡辺三郎(62)は望む。
 グループ名になぜ「45」と付けたのか、メンバーもはっきりとは覚えていない。今年は奇しくも結成45年目の年。これを記念し、11月からは、6人で東京や横浜、大阪など全国各地を巡るツアーに挑む。
 ジョッシュ大塚(68)は言う。「いろんな時代をともにくぐり抜けてきた。演奏は、昔の延長かもしれないし、全く別物かもしれない。リアルタイムの年老いたボロボロの姿でいい。僕らの積み上げてきた音楽を聞いてほしい」

     ♪ ♪
 三田市で8月に開かれたフェスティバルには、3日間で延べ1000人が集まった。
 「ブルーグラスに出会えなかったら今頃自分はどうしていただろう」と敏雄は、若い演奏者たちを見て思う。
 神戸大ブルーグラスサークル(85人)部長の大野真さん(21)は、「情報過多で身動きが取れなくなりがちな僕たちの世代に、信念と行動力の大切さを教えてくれている気がします」と、渡辺兄弟や「45」に敬意を抱く。メンバーがまいた種は、数は少なくとも若い世代に確実に引き継がれ、芽を伸ばしている。
 日は落ち、闇が山を静かに包む。だが、ステージだけは輝きを増し、ブルーグラスの音色はいつまでも響いていた。(敬称略)








http://blue.ap.teacup.com/jprojectband/

 
 

予約状況

 投稿者:こーちゃん木村  投稿日:2012年10月27日(土)13時59分24秒 7.71.150.220.ap.yournet.ne.jp
返信・引用
  10月27日現在 お申し込み数40人、予約数(未着金)14人~16人 合計約55人、

◇各地の状況
・売り切れ;神戸、宝塚、・ほぼ売り切れ;大阪、売り切れ真近;東京
 なお神戸エリアでは追加公演が組まれました。

藤沢会場は残席150席、まだまだゆとりありますが、東京会場が売り切れとなりますと一気に予約が殺到されますので、早めの予約&振込みされるほうが、懸命だと思われます。

http://blue.ap.teacup.com/jprojectband/

 

会場打ち合わせ

 投稿者:こーちゃん木村  投稿日:2012年10月23日(火)19時25分48秒 245.58.235.111.ap.yournet.ne.jp
返信・引用
  10月23日(火)午後アメリカ民謡研究会?有志が集まり、会場の藤沢市労働会館と下打ち合わせを行いました。

PA設備の確認、舞台位置(平台で作成)看板、受付、などなど会館ご担当者と打ち合わせいたしました。PAのN西さんと先方担当者の話が始まると・・・チンプンカンプン(笑)なんだかわかりませんが、うまくいきそうです。ブイV!

神戸宝塚大阪関係はほぼ売り切れの大好評ですが・・・関東関係はまだ40枚くらいしか売れていません。200席なのでこれからの盛り上がりが期待されています。

湘南ブルーグラスの皆様!
ブルーグラスファンはもとより知人友人親戚などぜひともお勧めください。オール神奈川で取り組まないと成功はありえません。絶大なるご支援ご協力をお願いいたします。

http://blue.ap.teacup.com/jprojectband/

 

東京会場

 投稿者:こーちゃん木村  投稿日:2012年10月 8日(月)20時59分26秒 147.21.145.122.ap.yournet.ne.jp
返信・引用
  東京会場は以下のとおり!

◇11月18日(日) 16時スタート  チャージ3000円

◇銀座ロッキートップ
 東京都中央区銀座7-8-19 東京ビル3F
 03-3571-1955

◇キャパが50人くらいなので予約したほうが正解だと思います。

http://blue.ap.teacup.com/jprojectband/

 

スタートします!

 投稿者:こーちゃん木村  投稿日:2012年10月 8日(月)20時54分52秒 147.21.145.122.ap.yournet.ne.jp
返信・引用
  BBSスタートします。エリアに関係なくどんどんツアー情報を書き込みください。
みんなで、ツアー成功を!

http://blue.ap.teacup.com/jprojectband/

 

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