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天国への弁証法

 投稿者:Zdbac Ubel  投稿日:2008年 7月 9日(水)21時37分1秒
   Dialectic For Heaven
 天国への弁証法
                 John Ubel

 第一章
    ヘーゲル弁証法

 ヘーゲルの弁証法は、Sein-Nichts-Werden(有ー無ー成)が、主観的主観、主観的客
観、客観的主観、客観的客観へと、螺旋状に認識が昇華していく論理学である。それは、
主観と客観を媒介によって上位の認識へと上がって行く円環的形而上学である。

 第二章
    マリアの生誕
 1945年、和歌山の御坊にある山沿いの農家に、巻き髪の赤毛の可愛い女の子が生ま
れた。その姉妹は、みんな巻き髪を持っていた。マリアは、和歌山の特殊教育機関で、
本を読み、ピアノを習った。中学生になる頃には、映画館に入り浸った。マリアは、
映画に夢中になり、長編の映画を何本立てで観終わった後、夜遅く帰宅するのもしょ
っちゅうで、良く家人に怒鳴られていた。マリアは活劇ものの邦画から洋画まで、万
遍なく観た。そして原作の小説を読み漁った。マリアは「人間の条件」を読み、映画
化されたヒロインとヒロインの彼氏の学生活動家に憧れた。マリアは次第に苦学生の
学生活動家に憧れるようになった。学校の勉強は、もうどうでもよかった。マリアは、
「人間の条件」全巻を読み終え、東大阪の家電店の家政婦になった。

 第三章
    ラグビー部のアイドル マリア

 当時の女の子達にとって、家政婦という仕事は、普通の職業だった。マリアは、家
電店の家事を手伝った。TVで音楽番組を観るような家ではなかった。二階のベランダ
で、洗濯物を干したり、しまったりするマリアは、二階のベランダ越しに見えるラグビ
ー部の練習場から、逆に手を振られる存在になっていった。マリアは、東大阪の高校の
ラグビー部のアイドルになった。泥と土にまみれる男くさいラグビー部員の楽しみは、
ベランダに現れるマリアの姿を見る事だけだった。マリアもラグビー部員たちによく手
を振った。マリアは仕事の休みの日に良く、ラグビー部員達とデートし、映画館に通っ
た。その中の一人から、マリアは、
 「卒業したら結婚してくれ。」
と、プロポーズする彼氏も現れた。真面目に家政婦を勤めるマリアには、縁談もあった。
ただマリアは、当時のスモッグで淀んだ東大阪に、一生住む気になれなかった。マリア
は、ジャズベーシストの彼氏ができた。そして、ベーシストの彼氏に付いてリハーサル
を見学していたマリアに、
 「ピアノを弾いてみないか。」
と、優しいバンマスの紳士から声をかけられた。ちょっとしたオーディションだった。
マリアは彼氏の弾くベースを頼りに、初見の楽譜を弾きこなした。マリアはその日、ジ
ャズバンドのピアニストとしてデヴューした。

 第四章
    ジャズピアニスト マリア(Sein)

 まだ17歳の可愛い女の子マリアが、ジャズバンドのピアニストになった。マリアは決
して表に出たがらない女の子だった。巻き髪の可愛い少女ピアニストは、すぐ人々の評
判になった。マリアは彼氏の弾くべースラインを頼りに、次第に即興演奏を、メロディ
ラインに入れだした。グランドピアノの弦を良く切るピアニストのマリアは、フェンダ
ーローズのエレクトリックピアノを弾く事が多く、
 「ローズのマリア」
と呼ばれていた。マリアの所属するジャズバンドは、マリアの人気で、大きなホールも
満員にした。マリアはモデルとしてTV番組に出演していた。モデルをただ映すだけの深
夜の番組で、マリアはまるで貴婦人かのように、毎回豪華なセットを背景に、伊達男の
モデルを侍らせ、女王様のように、TVに映った。ヘアースタイリストやメイクが彼女を
毎回変身させ、巻き髪はどんなヘアメイクも映えさせた。豪華なドレスに、本物の宝石
類、マリアのファンは大阪の紳士達に増えて行った。マリアは雑誌のインタヴューで、
 「子供は何人か作る。谷底に落として這い上がってくる者だけが、本当の息子。」
と、答えていた。また、マリアに言い寄る芸能人達に、
 「理想の男性は、『人間の条件』に出てくる、学生活動家。」
と芸能人の美男子達を、振りまくった。そんなマリアが、グラビアに登場し、マリアは、
東京に呼ばれた。もうすぐ20歳になるマリアは、芸能界での成功が約束されていたその
20歳の誕生日目前に、大阪のアパートから失踪した。

 第五章
    城下町のマリア

 マリアは、和歌山の御坊の実家に戻った。業界からの再三の復帰の催促から逃げるよ
うに高取城下町の材木問屋の家政婦になった。小さい女の子の姉のように、毎朝三つ編
みを作ってあげるマリアは、街の人気者だった。TVでモデルとして出ていたマリアを知
っている人は多かったが、マリア本人にその話題をふる人は少なかった。マリアは、言
葉の綺麗なその城下町を気に入っていた。青い綺麗な空は、実家の浜風の吹く海辺の太
陽とも違った上品な香りが漂っていた。マリアはこの街で落ち着きたい、と真剣に思っ
ていた。マリアの前に、ゲートルを巻いた三十歳の男性が現れた。
 「なんていう人なのかしら。」
マリアの前に、現れた村のZdbacヨゼフに、マリアは好感を抱かなかった。田舎の品の
悪い男性としてしか、マリアには映らなかった。ヨゼフは、毎日のように、材木問屋に
通った。ヨゼフとマリアは次第に世間話をするようになった。マリアは材木問屋の女主
人に、Zdbacヨゼフとは、どういう人なのか問うた。
 「Zdbacさんは、お士族さん。」
マリアは、熱い鼓動を憶えた。
 「あのゲートルを巻いた品の悪いヨゼフが、士族だなんて。世の中そんな事があるの
かしら。」
マリアは、ヨゼフに対する眼差しを変えて行った。
 「確かに、田舎では紳士なのかもしれない。」
 「それに士族の男性なんて滅多にお目にかかれない。」
城下町の武家屋敷は、街の上手にあり、材木問屋のある下町には、武家は無かった。ヨ
ゼフは三十歳。16歳から17歳まで半年間、演歌歌手をしていた。ヨゼフもまた、幼児の
時、特殊教育を受けていた。しかし化学者の父、ゴダイは、ヨゼフに高等教育を受けさ
せなかった。建築労働をしていたヨゼフは、自然に演歌歌手になった。スカウトされ、
場末のクラヴで歌いながら、レッスンを受けているヨゼフは、すぐにレコードデヴュー
の話が舞い込んだ。しかし、親戚が反対し、ヨゼフのレコードデヴューはなくなった。
その後、ヨゼフは売薬師に三年付き、売薬師になった。大阪のダンスホールで踊るヨゼ
フの青年期も過ぎ、三十歳になったヨゼフもまた落ち着きたいと思っていた。ヨゼフは
マリアを家に呼んだ。士族とは名ばかりで、その屋敷は、屋敷というよりもバラックに
近かった。そして、未婚の姉妹弟が、大勢いて、姑もいた。ヨゼフは訥々と、マリアに
自分の境遇を語った。マリアは、Zdbac家への嫁入りを決意した。
 結納を済ませたヨゼフは、マリアの実家の田植えを手伝った。真面目に稲を植えるヨ
ゼフは、マリアの父に気に入られた。御坊の山谷から御坊駅までの道のりを、ヨゼフと
マリアは手を繋いで歩いた。そしてヨゼフの家での結婚式までの短い別れを、マリアは
駅で見送った。ヨゼフとマリアの結婚式が、無事Zdbac家で挙式された。大勢の姉妹弟
が並ぶ、白黒写真が残されている。マリアの嫁入り道具は、トラック一台分あった。エ
レクトリックピアノや、ドレス類と宝石が、何台ものタンスごと運ばれて来たが、Zdbac
の女主人キサノは、
 「何処にこんなちゃらちゃらしたもん着ていくねん。」
と、全てのドレスや宝石類、エレクトリックピアノを、実家に返させた。マリアの試練
は、嫁入りと同時に始まった。多くのヨゼフの弟から女中扱いされた。ヨゼフが商売の
旅から帰ってくると、マリアはヨゼフに大声で泣きわめいた。マリアは騙された、と思
った。もう実家にも戻れない、芸能界にも戻れない。この家で生きて行くしかないのだ、
と思うと、次第に涙が滲んだ。姑や小姑のいびりは止まなかった。マリアは胃痙攣を繰
り返し、膵臓を壊した。そんな時、マリアは長男のヨハンを妊娠した。お腹の中のヨハ
ンに、キサノはヘブライ語で話しかけた。仏教の経典を、マリアのお腹の中の子供に聴
かせた。マリアは、膵臓の治療と同時に、産婦人科にかかれるよう大病院の入院を希望
したが、許可が下りなかった。橿原市の産婦人科病院で産まれたヨハンは、逆子で、そ
して産まれても泣かなかった。医者が放り投げると、やっとヨハンは泣き出した。

 第六章
    母としてのマリア  (Nichts)

 姑キサノは、マリアがヨハンを抱くのを禁じた。わざわざ乳母に乳を与えさせ、赤ん
坊のヨハンを抱いて可愛がるのは、キサノが独占していた。マリアは自分がZdbac家の
嫁でもなく、ヨハンの母でもない、まるで召使いのような虐げられた存在のように、マ
リア自身を感じた。そして、それは若い頃読んだ、人生全体を弁証法的に生きる、有(
Sein)-無(Nichts)-成(Werden)のちょうど「無」にあたるのが、これからの自分の人生
のように思えた。マリアは既に、エレクトリックピアニストだった自分、モデルだった
自分を忘れるようになった。スカートをはいているだけで、白い眼で見られるこの村の
人達の色目を避けるように、モンペをはいた。マリアは過去の自分と決別しようと思っ
た。この数十年間母として生きて、そして、天国は虐げられた者にある、というイエス
キリストの教えを胸に抱いて生きようと誓った。自分が苦労して死ぬような思いをして
産んだヨハンを抱く事すら許されない。マリアはいつしか虐げられた人々にだけ許され
る天国を思い描きながら、畑の労働と家事を淡々とこなしていった。ヨハンは一歳にな
り、特殊教育に出、マリアはまた女中奉公のような日々に戻った。その頃、マリアは向
いの体育教師にレイプされた。体育教師はさも当然のように、マリアを手込めにした。
まるで、村のようなど田舎で、そんな綺麗な顔をしているのが、悪いのだと、言わんば
かりに、当然のように子供を作らせた。できた子供が裕二だった。裕二はヨハンと違い、
マリア本人の手で育てた。自分の母乳で育てる裕二は、まるでマリアの初めての子供の
ようだった。自分の子供でない裕二を、姑もヨゼフも良く思わなかった。ヨゼフは自分
のメンツのためだけに、裕二を自分の籍に入れた。ヨハンが学校から帰って来て、ヨゼ
フ親子だけの家を数ヶ月持った。体育教師が足しげく通い、まるでマリアが売春婦かの
ように、堂々とレイプする毎日をヨハンが訴え、家は引き払った。ヨハンは体育教師に
十字架や証書類を堂々と盗まれ、差し出すのを、マリアは、
 「こんな大事なもの人に渡したらいけないじゃないの。」
もはや三歳児のヨハンも、既に人生を投げていた。堂々と、他人の嫁に手を出す村人達。
母が美人だからと、美しさがさも犯罪かのように説く、この村人達に、英才教育から帰
ってきたヨハンは、人生を既に三歳で投げ捨てた。目の前で、母が犯され続け、ドラム
缶を叩いて叫んでも、誰も助けに来てくれない村人。もはやヨハンは、学校での栄光が
過去になって行くのを感じた。うらぶれたバラックのような屋敷で、人々に馬鹿にされ
続ける人生が待っているヨハンは、何もかもが捨て鉢で、
 「どうでもいい、どうでもいい。」
と、口癖にした。マリアは、そんなヨハンを見るのがつらく、裕二の相手ばかりした。
遂にお遍路さんに、姑キサノと出たヨハンが、帰ってくると、マリアはもう子供として
扱わなかった。著名な作家相手に、電話口で偉そうな口をきくこの子供が、自分の子供
だと思うのが恐かった。マリアはヨハンを自分の子供として諦めた。ヨハンは、すぐに
スタジオに働きに出、そして数ヶ月して帰って来た。姑キサノが、ギャラをもって帰ら
なかったヨハンを叱るのを止める事ができなかった。まだ五歳の男の子なのに、なぜこ
の子ヨハンはこんな目に遭わないといけないのか。もはやギャラを持って帰らなかった
ヨハンを叱るキサノは、狂人か化け物のように思えた。ユダヤ教会のマザーとしてシス
ター達にヘブライ語で話すキサノは、ユダヤ系のマリアにとっては恐ろしい存在だった。
そして義姉ハツノは、マリアに向かって、堂々と、
 「私はナチだ。」
と脅迫し続けた。マリアはハツノが実家に帰ってくるのを怯えた。マリアは巻き髪にス
トレートパーマをかけるようになった。体育教師の娘、奈江子が、肥だめで泳ぎ、有機
肥料の固まりを、ヨハンの巻き髪に投げた。マリアは泣きながら、ヨハンの髪にハサミ
を入れた。
 「なんてひどい所なの。なんてひどい所なの。」
と、涙が溢れて止まらなかった。ヨハンは、
 「男の子やからええねん。」
と、何度も言っても、マリアは涙が溢れ出して、泣き止まなかった。
 姑キサノが亡くなり、マリアはZdbac家の女主人になった。と、同時にパートタイム
に出るようになった。ヨハンはミッションスクールで、
 「お前のお母さん誰やと思ってんねん。二部行け、働け。」
と、チャプレンから怒鳴られた。音楽科の教師は、ヨハンに、
 「お前の母親、よぅーピアノの弦切ったなあ。」
と、まるでマリアの知り合いかのように、ヨハンに語りかけた。
 ヨハンは若い時のマリアが憧れていた学生活動家になった。ただDAS KAPITALの原書
を読み、自分の憧れていた青年になってしまったヨハンが、マリアには恐かった。マリ
アと裕二は、裕二の戸籍簿を見たヨハンを精神病院に入れた。ヨハンが入院した精神科
の医者が、
 「あなた椎野マリアでしょ?ひどいじゃない。息子谷底に落として、這い上がって来
た者だけ、自分の息子だなんて。」
マリアは、医者の前で、
 「すみません。すみません。」
と泣きわめいた。マリアはヨハンの面会に毎日通った。ヨハンがミュージシャンとして
リハビリしだすと、ヨハンは、椎野マリアの名前を、自分に言い出す人に良く会った。
 「そっくりだ。」
と皆が言う。何故、自分の母親の旧姓を皆が知っているのか、ヨハンは不思議だった。
そして、決定的な出来事が、ヨハンの前に起こった。神戸のジャズライヴハウスで、ピ
アノとシンセサイザーを同時に演奏したヨハンを、VIDEOカメラで撮り続けるマスター
が、演奏が終わった後、
 「椎野マリアにそっくりだ。」
とヨハンに話しかけた。ビールを片手に、ほろ酔い気味の打ち上げで、ヨハンは、
 「良く、人に言われます。なんで家の母の旧姓を知ってるんですか。」
 「ピアニストだったんだよ。ピアノの弾き方までそっくりだ。」
 「本当ですか?そんな事ってあるんですか?」
ヨハンは酔いが急に醒めた。家に帰ると、
 「お母さん、一体何者やったん?今日出た店のマスター、お母さんの事良く知ってる
って。」
マリアは花畑を作りながら、
 「あんたの後生大事に聴いてる音楽はたいした事ない。」
と、言い続けた。そして、ぼそっと、
 「ローズのマリアと言われてた。」
とばらした。マリアは自分の弁証法の実験が成功しかけているのを、息子がミュージシ
ャンになった事で、直感していていた。マリアは花畑のサボテンを一つも枯らす事がな
かった。母としてミュージシャンを育てたのだ。マリアの花畑は次第に美しい花々でい
っぱいになり、ヨハンは、花畑に囲まれて美しいシンセサイザー作品を作っていった。

 第七章
    天国への弁証法 (Werden)

 ヨハンが渡した十字架を胸に、病床のベッドで、若き日の貴婦人さながらに、人を威
圧するような目でマリアはヨハンを見た。それが最期だった。既にマリアの生前に、20
作以上の音楽作品を作っていたヨハンの将来を、マリアは何も心配していなかった。マ
リアが納骨された観音菩薩納骨堂で、安息し、そして天国へと旅立った。ヨハンが引っ
越したワンルームマンションの部屋に、マリアは現れた。
 「此処良い人ばっかりや。ヨハン、あんたのおかげや。」
と、ヨハンに告げた。マリアは、人生の弁証法を成功させ、天国で(Werden)成った。マ
リアは、ヨハンに、若い頃の自分の映像を一晩ヨハンに見せた。大きなホールを客で埋
め尽くすビッグバンドや、小さな編成のバンドのLIVEでピアノを弾くマリア。スタジオ
のセットでモデルとして撮影するマリア。ヨハンが朝目覚めた時、その貴婦人が、小さ
い頃マリアの実家で観た、マリアの写真だった事を憶いだした。そしてマリアの死後、
二年経ち、若い女優が、マリアのリメイク写真を撮った。人々はマリアの事を憶いだし、
既にマリアが他界しているのを惜しむ人々が絶えなかった。マリアは天国へ生成し、
Werdenした。人々の想い出に永遠に生きる、マリアの天国への弁証法は完成した。
 

イエスキリストの実在について

 投稿者:Zdbac Ubel  投稿日:2008年 7月 9日(水)21時35分13秒
   イエスキリストの実在について
               Sebastian Zdbac

 イエスキリストが実在するというのは、
 形而上学的問題であって、
 全ての人類は宇宙人であり、
 猿から進化した人間は一人もいない。
 メソポタミアーヨーロッパが作ってきた
 お話しは、形而上学的存在としての
 イエスキリストを実在化し、
 そしてそれは人類に存在し続け、
 存在する。
 その意味で、マルクス、エンゲルスの
 行った行為は、逆転倒であり、
 或いはマルクスはそれ故、
 円環的形而上学に至ったのかも
 しれない。

 不信心な人も
 霊的に目覚めた時
 生きれる。
 神は人の中にある。

 人類の類としての発現のためには、
 労働は重要である。
 その上で、
 逆転倒としての
 マルクス、エンゲルスは正しい。

 円環的形而上学は、
 仏教哲学としてもともとあったものである。
 ヨーロッパ思想史がそこに行き着くためには
 エンゲルスとマルクスの方法論が必要だった。

 唯心論と唯物論の
 円環的形而上学に至る
 過程において、
 エンゲルスとマルクスの
 逆転倒が必要だったわけである。

 DAS KAPITALのドイツ語の原書の中には、
 明らかに中世論理学が読み取れる。

 例えば、
 父なる神ー聖霊ー子なる神、は、
 GとデルタGとGシュトリッヒの
 関係に置き換えられる。





                     Sebastian Zdbac(John Ubel 弓武声慧)
 

十字架泥棒

 投稿者:Zdbac Ubel  投稿日:2008年 7月 9日(水)20時59分45秒
   十字架泥棒

                   John Ubel



 序章
   三つの洗礼

 セバスチャンは、1966年4月21日にVillageに生まれた。生まれてすぐ、村はずれに
ある、ユダヤ教の尼僧の修道院で洗礼を受けた。洗礼台の上で、セバスチャンの頭に
聖水がかけられ、Johann Zdbacとして、セバスチャンは最初の洗礼を受けた。そのユ
ダヤ教会は、小さな修道院だった。薄暗い、教会の中で、十字架や祭壇が背後に聳え、
何か神秘的なものが漂う教会だった。Zdbacという名前は、ドイツ人のZdbac家が、
1911年に、日本の高知の浜辺に漂流し、辿り着き、日本人として同化していった家の
名前だった。セバスチャンの祖母の生家の名前がZdbacだった。第一次世界大戦がもう
すぐ始まる、不穏なヨーロッパから、Zdbac家は逃亡したのである。
 セバスチャンは、三歳で、ドイツ人牧師から、John Matthewという、第二の洗礼名
を授かった。ドイツプロテスタントのマシュー卿は、自分の名字を、セバスチャンの
洗礼名に与えた。既にドイツ語やフランス語で、原書を読んでいたセバスチャンは、
すぐラテン語やパイプオルガンを習得していき、マシュー卿のセバスチャンへの期待
は大きかったが、セバスチャンはまだ三歳児で、牧師になるのは、早過ぎ、セバスチ
ャンは三歳の牧師として失敗した。
 十七歳で、スコットランドの教会の高校に通っていたセバスチャンは、
Sebastian Zdbacとして、三たび洗礼を受けた。友人スクイーズの立ち会いの下、セバ
スチャンは、三たび、洗礼台で、聖水を受けた。そして、エレファスレヴィの本に出
てくる或る儀式を、John Matthewの名前で受けた。友人スクイーズと一緒に、セバス
チャンは、その儀式をふざけ気味に受けたが、セバスチャンもスクイーズもこの儀式
を真剣に受け、証人になるのが、怖かったから、わざとふざけた。



 第二章
    裕二

 セバスチャンが三歳になり、最初の学校を卒業し、Villageに帰ってくると弟がいた。
母マリアを、向いの体育教師West River清照が、半ばレイプして作らせた子供、裕二だ
った。父ヨゼフは、裕二を自分の籍に入れたが、戸籍には、裕二の項目に、
父West River清照と書かれてあった。
 セバスチャンが建てた教会の横に、セバスチャンの家を建て、母マリアはエレクリッ
クピアノを弾いていた。牛乳屋さんが配達しにくる牛乳を待ちわびる、三歳児の牧師、
セバスチャンの家で、父ヨゼフが仕事に行って留守の時、体育教師、
West River清照は、山奥のセバスチャンの家までやって来て、堂々とさも当然のように、
母マリアをレイプした。三歳児のセバスチャンは、この獣のような清照に暴力では敵わ
なかった。またセバスチャンは、非暴力に徹しなければならなかった。母マリアが清照
に犯されている間、セバスチャンはただ外で、ドラム缶を叩いて叫んでいた。
 裕二が三歳になる頃、母マリアと祖母カナンは、裕二を孤児院に預ける事にした。不
貞の子、裕二を家に置いていては、いずれ災危が訪れると、宗教の先生から忠告された
からである。裕二は最後に、母マリアから授乳を受け、マリアとセバスチャンは、裕二
を孤児院に連れて行った。孤児院の子供達は、普通に遊んでいて、孤児院の先生は、
 「この子もすぐ慣れますよ。」
と言い、マリアとセバスチャンは帰ろうとした。しかし、裕二は先生の指図通りに、孤
児院の仲間に入ろうとせず、ずっとセバスチャンに、
 「お兄ちゃん、お兄ちゃん。」
と立ったまま叫び続けて、孤児院の先生の制止を振り切ってまで、先生の言いつけを無
視し、
 「お兄ちゃん、お兄ちゃん。」
と、叫び続けた。セバスチャンは、裕二が可愛そうになり、
 「俺の弟にする。」
と、連れ帰った。裕二は後に、セバスチャンの人生を滅茶苦茶にする。




 第3章
    UFOの到来

 裕二は、セバスチャンの行く処は、どこでも付いて廻った。4kmはある友人の家ま
で三歳の裕二は、付いて歩いた。歩き方はまだ拙かった。
 「ボチュ、裕二。」
と、自己紹介する裕二は、セバスチャンの弟になるために必死だった。
 セバスチャンが、11歳の時、庭に、大きなSTAGE LIGHTのようなものがずっと照ら
し出されていた。そして点滅し、セバスチャンを呼んでいた。それは明らかに、UFO
のLIGHTだった。三人の1966年生まれの子供達が、その時同時にUFOから招待されて
いた。一人は、橿原市の団地の少年、カセナだった。彼はその時、
 「このままの成績だと、東京大に行けない。」
と、塾の先生に云われ、団地のベランダから飛び込もうかと、悩んでいる時、UFOが
到来した。カセナを待って呼び続ける、UFOのステージライトを目の前で、ベランダ
から見るカセナは、やはり自分は、貴族の血を引いた選民なのだと、自信を取り戻し
た。もう一人は、南朝貴族の出身の少女だった。その少女は、カセナを励ますために、
UFOのステージライトを浴びていた。その三人がUFOの光りの中に入るかどうかは、セ
バスチャンが光りの中に入るかどうかにかかっていた。UFOのステージライトは、
 「ようこそ。」
と点滅していた。セバスチャンは布団から飛び出し、ゆっくりと庭のステージライトの
方へ歩いて行った。そして裕二に、
 「あとはお前に任す。俺はUFOと一緒に宇宙に行く。」
と、言い残した。その時裕二は、セバスチャンの脚を掴み、離そうとしなかった。UFO
のステージライトは点滅していき、
 「早く来い、早く来い。」
 「一緒に宇宙に行こう。」
と、セバスチャンを呼んでた。裕二は泣き出した。
 「お兄ちゃんに出て行かれたら、困る。」
と、泣いて、セバスチャンを離そうとしなかった。その夜、UFOのステージライトは一
晩中光っていた。セバスチャンは宇宙に旅立つ機会を、裕二に邪魔され、失った。



 第四章
    三つの十字架と十字架泥棒

 セバスチャンが教会を移転させ、教会の横の自宅も引き払った後、セバスチャンが教
会で読んでいた、ゲーテやシラー、ノヴァーリスやヘルダーリンといった、豪奢な装丁
のハードカバーのドイツ語の原書を、体育教師West River清照は、
 「預かる。」
と言って、盗んで行った。そしてマシュー卿から授かった華麗な十字架と、証書類を、
当然のようにWest River清照は盗んで行った。West River家は、サンカの木こりの出身で、
青い目をした、アイヌ日本原住民の家系だった。明治に入る頃、賭博で儲け、分割され
たZdbac家の本家の屋敷を買った。West River家は、Zdbac家の本家の逸品の蒐集にやっ
きになっていき、鎧兜や、Zdbac家の大切な家宝を、最初は借金の方に、そして後には、
堂々と、当然のように盗み、コレクションしていった。セバスチャンの大切な十字架と
原書と証書類は、こうして清照に盗られた。ただセバスチャンは、清照に吐き捨てるよ
うに、
 「これは、マシュー卿が、俺を制御するために渡されたものだ。これを盗るという事
は、あんたがマシュー卿に仕えるっちゅう事やで。後で泣き入れて、謝ってきても知ら
んからな。若死にしたかったら、盗って行け。」
West River清照は、60歳すぐに、飲酒運転事故で世を去った。そして、清照の娘、奈江
子も38歳でこの世を去った。
 セバスチャンが17歳になる一ヶ月前、ユダヤ教のシスターが、セバスチャンにナイフ
で襲いかかり、そして、金色の鉛のような匂いのする、大きな十字架を家に置いて行っ
た。その十字架は部屋に置いておくと、死の香りがした。West River清照の妻、バルナ
と娘、奈江子は、当然のように、セバスチャンの家に上がり、その十字架を当たり前の
ように盗っていった。その十字架は、ユダヤ教の十字架で、バルナは、皆の前で見せび
らかし、エホバの証人のシスターを、十字架をかけたバルナの前に跪かせ、
 「バルナ様。」
と呼ばせていた。
 セバスチャン17歳の夏、クリスチャンのセインから、銀色のカトリックの十字架を、
護身用にと、セバスチャンに渡された。West River家は当然のように、Zdbac家に上が
り込み、その十字架も盗んだ。



 第五章
    West River家の自己破産

 セバスチャンが、京都から帰って来た1988年、West River家は不良債権を抱えた。
West River家は、セバスチャンの父ヨゼフの土地までも奪い取ろうとした。大きなス
ピーカーを置き、犬のように、バルナや清照、奈江子が吠えた。奈江子は、West River
家が盗んだ、十字架が運んでくる聖霊への応対で、発狂していった。それはバルナも
清照も同じだった。セバスチャンに来るメッセージをバルナや奈江子や清照が仲介し
ていき、そのやり取りは、次第に、狂気の沙汰になっていった。セバスチャンは、
West River家の引き起こす狂った芝居の幕を降ろす為に、自分が身代わりに精神病院に
入った。
 そして、1998年、West River家の不良債権は、何倍にも増え、銀行は精算を要求し、
West River家の人々は、再び発狂した。銀行の催促に、バルナは、Zdbac家に八つ当た
りし、再び、セバスチャンが身代わりに入院した。
 2008年、West River家は多額の不良債権を抱えて、自己破産した。既に清照も奈江
子も死んでもういないWest River家は、Zdbac家から盗んだ物を返す事は、最後までな
かった。そして、West Riverバルナは、Zdbac家から印鑑を盗み、有印文書偽装の疑い
で逮捕された。
 

TWISTED BROTHERS2

 投稿者:Zdbac Ubel  投稿日:2008年 7月 9日(水)20時57分8秒
     Twisted Brothers


   NURSERY CRIME



 鈴鹿ハーフマラソンをヨハンとショーンのチームは走った。末番からすぐのタイムだ
ったが、二人とも完走した。温泉に入り、ショーンの運転する車で、三重県から奈良県
に入る途中、ショーンは三重県境いの山道を走り出した。そして、'90年代に起こった
三ヶ瀬事件の詳細をハンドルを握りながら、淡々と語りだした。忌まわしい事件だった。
奈良県の山奥で女子中学生が自転車ごと跳ね飛ばされ、レイプされた後、殺され、衣服
がバラバラに捨てられた事件だった。容疑者に村の無職の青年が逮捕されたが、刑務所
で無実を訴えたまま自殺した。ショーンは、
 「ここで女子中学生が跳ねられた。」
と顔色一つ変えずに言った。
 「俺が真犯人だったらどう思う。」
と真顔で言うショーンに、
 「本当だったら自首しろっ。罪が軽くなる。」
とヨハンは答えた。ジョークや冗談ばかりとばすショーンの言う事にさほどヨハンは
気にならなかった。しかし、その時のショーンの語り方は、真面目だった。
 「時効を待ってるんだ。」
とショーンは呟いた。
 水谷は執拗にショーンを介在させ、ヨハンを追いかけた。それはまるで、逆ストー
カーだった。ショーンに貸した本やCDは、必ず水谷に渡され、なかなか却ってこなか
った。水谷の再婚の結婚式でギターやエレクトーンを弾け、とショーンは頭ごなしに
要求してくる。
 「そんなものは嫌だ。」
と断るヨハンを、ショーンと水谷は共謀して、ヨハンを落とす策謀を練りに練る。ヨ
ハンは、発表会での演奏が認められ、クラシックギターコンクールの予選への出場が
決まりかけていた。根も葉もないうわさ話が、ヨハンの部屋の周りで大声で話され、
ヨハンは自然と予選の出場を断り、クラシックギター教室を辞めた。その後も順調に
ロックバンド活動するヨハンの周りを、ショーンと再婚したはずの水谷はストーキン
グし続けた。ヨハンのかけるCDのタイトルを、ショーンは大声で叫ぶ。ショーンは徐
々に発狂していった。
 ショーンが遂に精神病院に入院した日、ヨハンは数十枚のCDをカバンに入れ、ショ
ーンの家の前に置いた。ポータブルCDプレーヤーやヘッドフォン、文庫版のグラビア
まで入れ、快適に病院生活ができるよう、思いを込め、
 「ちゃんと治してから来い。」
と手紙を入れた。
 ショーンは入退院を繰り返すようになり、ヨハンは精神障害者の当事者会で働くよ
うになった。ヨハンの長髪は、田舎では珍しく、良く携帯写真を撮られた。ヨハンの
携帯写真が出回るようになった頃、ショーンはヨハンの名前を騙り、次々とレイプ行
為を繰り返した。そして連続婦女暴行犯として、水谷とショーンは全てヨハンの仕業
にしていた。憤る女性達。何も知らないヨハンは当然堂々と通勤している。水谷は婦
警で、奈良県警の幹部OBの父の娘として、ショーンの犯罪を見逃す代わりに、次々とヨ
ハンの仕業にしていった。しかし、ヨハンは何も知らずに通勤している。最初はヨハンに
憤っていた女性達が、次第に真犯人はヨハンではない事が解って来た。しかし、その間に
も、ショーンは次々とヨハンの名を騙って、レイプ行為を繰り返し、ヨハンを追いかけて
くる女を次々と誘拐しレイプした。
 ショーンは訴えられかけると、ただちに入院し、入退院を繰り返しながらレイプ行為を
繰り返し、遂に投獄された。ショーンは保釈金を積み、保釈された後も、入退院を繰り返
しながら被害者に訴えられ、投獄と保釈を繰り返す。入獄中、ショーンが三ヶ瀬村の事件
を自白したかどうかをヨハンは知らない。
 もはや神を持たないショーンにとって、本当の意味での裁きなどあるのだろうか。
 もし、彼に刑が確定しても、彼は罪を償えるのだろうか。
 高い偏差値を獲得しただけの人達の行為を、甘く見てしまう世間に責任があるのではな
いだろうか。
 こんな事になる前に彼の行いを辞めさせる方法はいくらでもあったはずである。
 ショーンから借りたままの本が一冊だけヨハンの部屋に残っている。
 「異常の構造」
 ショーンは、明らかに確信犯として、発狂し、犯罪を犯した。
 ー異常への憧れとして。





                                  end
 

TWISTED BROTHERS

 投稿者:Zdbac Ubel  投稿日:2008年 7月 9日(水)20時47分6秒
     Twisted Brothers
                                                                                    John   Ubel

       LOCANDA DELLE  FALE       FORCE LE LUCCIOLE NON SI AMANO PIU

 1980年代。我々は孤独だった。自分の殻から一歩も踏み出そうとしない、高校生
達が、唯一ROCK音楽の話題でだけ連帯できた。大阪の高校の街の雑多な風景から帰
ってくると、今日もショーンの部屋からロッカンダデルファーレが流れている。PU
NK ROCKに染まったヨハンの日常と、ショーンの牧歌的な田舎の高校生生活とは、
かなり違うようだ。まるで都会の毒を吐き散らすように、ヨハンはショーンに向か
って説教する。
 「こんな事をしていてはだめなんだ。」

 ショーンが大阪から、ヨハンの近所に引っ越して来たのは、二人が5歳児になる
頃だった。本家のお婆さんが、ショーンとヨハンが並んで立っているのを見て、シ
ョーンの方が良いと品定めした。それ以来、ショーンとヨハンはまるで双子の兄弟
のように育った。
 ショーンのお婆さんは本家のお婆さんの世話をしていて、ヨハンは、
 「一緒に勉強しよう。」
と言わないと、ショーンの家には上げてもらえなかった。


   RAINBOW    STAR GAZER

 中学生になる頃、ショーンとヨハンはロックバンドを組んだ。レインボーのマン
オン ザ シルヴァーマウンテンを何度も繰り返し練習した。ハードロックがごく
一部の少年のものだった幸せな時代に、我々は、レッドツェッペリンやディープパ
ープル、ヴァンヘイレンを熱く語り、そしてコピーした。ボロボロのドラムセット
と小さなアンプ二台で演奏されるレインボーは、まだ音楽として体を為していなかった。
それでも丸刈りの中学生達は、毎週日曜ヨハンの家の二階に集まり秘密特訓に打ち込む
のだった。
 ショーンは、亡くなった本家のお婆さんから、肺結核を移されていた。それはヨハン
も同じだった。扁桃腺をこじらせ、とうとう扁桃腺を切ってしまったショーンに、同じ
一族として、すまなさを感じていた。
 ラジオでかかる洋楽をチェックし、二人で情報交換しあった。ヨハンの買うレコード
は、既に、TANGERINE DREAMやHENRY COWといったマニアックなユーロロックだった。
CARSがお気に入りのショーンは、YESやユーライアヒープに傾倒していった。Rockin'o
nを一緒に読み、岩谷宏氏のROCK論文を二人で解釈していった。ロバートフィリップの
歪んだ音を真似る為に、二人はエレキギターにフォーク弦を張り、ディストーションで
歪ませた。
 ヨハンはショーンと同じようにふるまったが、ヨハンのレコード代やギター費用は、
ヨハンが新聞配達をして賄っていた。スパルタ塾を経験し、クラシックギター教室でク
ラシックを習うヨハンと、YESのレコードでただひたすらファンタジーを消費するだけ
のショーンとの現実はかなり違った。ヨハンは大阪の高校に進学できたが、ショーンは
片田舎の普通の高校にしか進学できなかった。


  LATTE E MIELE        PAVANA


   高校に進学した時、バンド活動は途絶えた。ヨハンはガールフレンドどころではなか
った。画家志望のガゼットが、ヨハンの中学時代のガールフレンドをくれ、と言ったが
 「自分のものではないから好きにしろ」
と、言いながら、ガゼットを家まで連れ帰って、その間に伯父が自殺している波乱の高
校時代の幕開けだった。ショーンは畝田高校の才女マリエンヌとLove Affairを繰り返す
幸せな毎日だった。ガゼットも、もうその頃には肉体関係を持つガールフレンドがいた。
 SF研究会で。ひたすら本を読み、小説を書く毎日、KORG MS-20をひたすら弾きまく
る毎日。丸坊主が長髪になっていくのと同時に、中坊時代が遠い過去になっていくのを
感じた。都会の高校の友人達は育ちの良いインテリばかりで、田舎の近所の友人達とは
付きあいたくなかった。
 夏休みの工場でのアルバイト中、御所の高校に通うフィールドが、無理矢理バンドを
やろう、と言い出した。フィールドはたいしたセンスもなかった。ショーンとヨハンの
世界を羨み、自分も仲間に入れてもらいたいために、ハードロックのLPを買い漁ったあ
げく、洋楽を聴いているだけで。ヤンキーに目をつけられ、ヨハンの要らないハードロ
ックのLPを無理矢理ヨハンの部屋に置いて帰った。
 一時眠っていたヨハンのバンド熱は、再び燃え上がり、もはやバンド、パラノイドの
演奏する音楽はPUNK ROCKだった。大和郡山のスタジオを借り出した頃、ヨハンにバン
ドの活動再開を持ちかけたフィールドは去って行った。



  I POOH       PARSIFAL



 高校一年の終業式にヨハンは、チャプレンから不思議な訓示を受けた。
 「今日は、お母さんに会えますよ。畝田高校の才女と、いいじゃないですか、素晴ら
しいじゃないですか。」
 ヨハンはコートをSF研究会の友人に預け、電車に乗り、橿原神宮前駅で降りると、異
国のユダヤ教のマザーが、付き人のシスター数人と歩いていて、ヨハンはマザーに、
 「お母さん、お母さん」
と、抱きついた。シスターがふりほどいたが、殊に怒っているようでもなかった。ショ
ーンの家に着くと、そこにマリエンヌがいて、長く伸びたヨハンの髪の前髪半分にハサ
ミを入れた。髪を切らせるかわりに、マリエンヌは自分の小さな胸をさしだし、ロケッ

トの中に身を沈めるように勧めた。そのロケットはウラニウムの固まりで、マリエンヌ
はユダヤ教の宣教師から、これを着けてヨハンに会うようにと手渡されていた。ヨハン
がマリエンヌの小さな胸に身を沈めていると、ショーンは泣き出した。あまりにもショ
ーンが可愛そうだったので、ヨハンはすぐショーンの家を出た。ショーンはそれ以来神
経症を患った。




  TG        HEATHEN EARTH



 1983年、大阪の高校生の話題は、いつもTGやSPKのインダストリアルノイズでもち
きりだった。ヨハンは同級生とPUNKのLIVEを観に出かけ、フレッドフリスのLIVEでバ
ドワイザーを飲んだ。梅田の地下街で酔っぱらう長髪の高校生、冷たい視線で見られる
ヨハンをクリスチャンのスウィーズが見送った後、夜、田舎に帰って来たヨハンの前に、
ショーンの部屋から、マイクオールドフィールドのハージェストリッジが流れていた。
その牧歌的なスコットランドの音楽は、ヨハン達がいつも聴いているSPKやTGの暴力的
なNOISE MUSICからはかけ離れた、すごくブルジョア的な音楽に聴こえた。ヨハンはシ
ョーンの部屋に窓から入り、フレッドフリスのLIVE の興奮を伝え、
 「俺はニーチェの云う超人になる。」
と、宣言した。ショーンは、
 「それは、寅さんがフーテンになるのと同じだ。」
と答えた。
 バンド、パラノイドは、大阪の高校のSF研究会のメンバーがシンセサイザーで加わり、
DOORS のTHE ENDや、オリジナルの寺山修司風のPUNKアレンジした、奇妙なプログレ
PUNK音楽に変貌していった。裸のラリーズやタコ、スターリンのLIVEに足を運ぶヨハン
は、PUNKSだった。ショーンは毎週大阪に出かけ、イタリアンロックを集めていた。
 河原町三条のLIVEHOUSEで行われたFOOLSMATEのイヴェントが行われた夜、制服のシ
ョーンは、私服高校生のヨハンの邪魔になった。TGのHEATHEN EARTHを観終わると、終
電はなくなっていた。終電がなくなっても、ヨハンを部屋に泊めてくれるお兄さんはたく
さんいた。ショーンが邪魔だった。結局、新田辺からショーンはTAXIで帰り、ヨハンは、
一晩中、京都線の線路を歩いた。途中、深夜に違法な排ガスを出す工場街の横の線路を歩
いた。暗い深夜に、鉄道夫が仕事するのを避けるように歩いた。買ったばかりの靴が擦り
切れた。
 17歳の夏、ヨハン達のSF研究会が撮った映画が、バックに流され、バンド、パラノイド
の演奏は、二台のシンセサイザーのシーケンスとノイズ、ハードロックのリズム隊、ディ
レイのかかったVoiceとギターの演奏で終わった。ショーンとヨハンの13歳からの夢は、
大和郡山音楽堂で実現し、バンドは解散した。




  RUSH      PERMANENT WAVES



 18歳の夏、ヨハンはある種のあきらめのようなものを感じていた。17歳のバンド活動
で、末席から二番まで落ちた成績は、中位まで回復していた。でも、私立の高額な学費を
払っている間に、もはやヨハンの大学進学費用はあまり残っていなかった。弟達が国公立
に行けというのも当然だった。ヘッセの全集を図書館から借り、この一夏を最後の学生生
活の夏にするつもりだった。ヨハンは真面目に就職を考えていた。
 ショーンの方は、あまり金の懸からない公立の高校生活で、私立大学に通う費用は充分
あり、大学生活へ希望を燃やしていた。ショーンの英語の勉強をみる機会があり、ヨハン

は愕然とした。難しい英単語や構文を覚えているショーンが、中一程度の基本的な英文
法を全く解っていなかった。それがヨハンには、中一からショーンをバンドに引き摺り
回した自分のせいのように思えた。取り敢えず、ヨハンは、貴重な18歳の夏を、ショ
ーンに中学英文法を教えるのに費やした。
 ショーンは一浪の末、関西大学に入った。ヨハンは働きながら、京都の夜間大学に通
っていた。大学の夏休み、ヨハンはショーンと一緒にドイツ語の勉強をしたりはしなか
った。仕事を休んで取った夏、ヨハンはロシア文学を読みふけった。
 ショーンは関西大学の軽音楽部でRUSHを弾くギタリストになったが、大学の成績は悪
く退学した。ヨハンは労働と勉学の疲れで入院する。この頃、ショーンはヨハンを見下
すようになった。退院後、ヨハンが就労しだした時、ユーロロックのカセットテープを
渡すショーンは、当然のように就労するヨハンを、非日常的なユーロロック音楽で、就
労が馬鹿馬鹿しくなるように、或るあざとい就労妨害をわざとしていたように見える。
この頃から、ショーンは、ヨハンの就労を妨害するのに、やっきになるようになった。
 ショーンは四浪で同志社大学に入り、ヨハンは入退院を繰り返していた。公然とショ
ーンはヨハンを馬鹿にし、ヨハンはただ黙々とリハビリの為に、作業所に通っていた。
 やっと新聞配達の仕事に就いたヨハンへの就労妨害は執拗だった。昼、夜間の就業の
間に帰るヨハンを村人は寝かさなかった。ショーンが村人を煽動し、ヨハンの就労を邪
魔していた。再びヨハンは病院に倒れた。




  VANDERGRAAFGENERATOR     PAWNHEARTS



 見るに見かねた大阪の高校時代の旧友がヨハンを自分達のバンドのメンバーにした。
子供の頃ギターのスパルタ訓練を受けたヨハンのギターにみんなは喜び、ヨハンは大阪
のロックバンドの世界で楽しく過ごしながら、アルバイトに精を出すようになった。
 ショーンは四つも下の学生達とダラダラ学生生活をしていて、楽しそうにバンド活動
を再開したヨハンを妬むようになった。ヨハン達の或るカセットテープにマリエンヌの
名前をバンド名にして販売し、好セールスを得た。ただ語呂が良かっただけで付けたバ
ンド名だった。ショーンがクレームを出し、そのバンド名は使えなくなった。ショーン
はあらゆる民法で訴える手段を講じた。しかし、マリエンヌはもう結婚していて、ヨハ
ンはそのカセットテープの件の事後承諾を得ていた。人生の車輪は廻っている。もう20
代半ばの青年は大人だ。ショーンはまだマリエンヌの事を憶い、25歳になっても学生生
活を続け、何のアルバイトもしない子供だった。ヨハンはショーンの事は忘れ、アルバ
イトしながら、ロックバンドのサーキットに夢中だった。当然のようにたくさんのガー
ルフレンドができ、文通の量は増えるばかりだった。そんな順風満帆なヨハンをただシ
ョーンは羨むばかりだった。
 ヨハンのレコード会社との契約がこじれた1997年はバブル経済が弾けた年だった。不
良債権を抱えた向かいの家人は発狂し、生け贄にヨハンが気づいた頃には入院させられ
ていた。
 しかしこの10ヶ月の入院で、ヨハンは薬を調合してもらい、あとは不眠症の治療をす
るばかりになった。
 ライヴハウス活動に戻ったヨハンは、自分のバンドで着実に評価を得ていき、CDRで
作ったオリジナルCDは売れて行った。もはやヨハンはショーンの事を忘れていた。
 クラシックギターの再教育を受けだしたヨハンの前に、或る女が現れた。水谷だった。
ヨハンが9歳の時、転校してきた女子生徒にヨハンは優しくした。そしてその女子生徒
は、すぐ別の小学校に転校していった。水谷は、結婚し別の姓になっていて、お互い何
処かで見た人だと思いながらヨハンはレッスンを受けていた。そして水谷は旧姓に戻り、
発表会の日の公園で、ヨハンにツタツタと寄って来た。ヨハンは、
 「おつかれさまでした」
とだけ言い残して、逃げるように去った。
 ショーンがヨハンの前に現れたのは、調度その頃だった。ショーンは司法書士試験を
何度も落第して、アマチュアマラソンランナーを目指していた。子供の頃、陸上選手だ
ったヨハンをマラソンチームに入れようとして、ヨハンはそれもいいかもな、と軽く返
事し、マラソンチームに加わった。しかし、ショーンは、マラソンの練習日を、いつも
ギターオーケストラの練習日に入れてくる。変な偶然だった。結局いつもどちらかを欠
席するしかなかった。ショーンは水谷と連絡しあって、ヨハンがクラシックギターの世
界で認められるのを妨害していた。ギター教室の院長は、腹に据えかねて、
 「そいつの名前を教えろ。」
と、問いただした。しかし、ギター教室の院長はただ、生徒のギターレッスンの妨害行
為をする輩の名前を知りたかっただけではなかった。或る事件の容疑者としてのショー
ンの名前を知りたかったのである。
 

墓庭の薄火

 投稿者:Zdbac Ubel  投稿日:2008年 7月 9日(水)20時27分36秒
   墓庭の薄火(ぼていのうすび)
                John Ubel


 第一章
    経済哲学研究会

 「僕の先輩のガトワーシュ講師という人は、経済学のメルクマールで一番冴えた研究
を発表していた。残念ながら自殺されたけどね。ガトワーシュ講師の三歳の愛弟子って
もしかしたら君かね?」
ブロッヘン助教授は、立命館大学夜間部二回生のヨハンにむかって、そう聴き問うた。
笑ってごまかすヨハン、バレバレだった。現役の助教授も出席する経済哲学研究会で、
ちゃんと予習してくるのはヨハンだけだった。ブロッヘン助教授は、ヨハンの
DAS KAPITALの訳し方で、
 「君、今三回生?」
 「君、今四回生?」
 「君、今大学院浪人生?」
と、聴き問うた。ブロッヘン助教授は、みんなの前で、暈けてるふりをして、ヨハンの
ドイツ語のレベルが上がっているのを、みんなの前で告げていった。


 第二章
    UFOのコクピット

 ヨハン11歳の時、数人の子供達と一緒にUFOのコクピットに集まった。コクピットの
中には、様々な機械装置類が並んでいた。爬虫類のようなそのプレイアデス人は、眼鏡
をかけていて、ヨハン達に語る言葉は日本語だった。ハーモナイザーがかかったような
声で、大気圏を脱出していくヨハン達のUFOの外の風景を説明していった。青い地球は
すぐ遠ざかり、宇宙船はすぐ、太陽系を出、銀河星雲の外へと移動していった。コクピ
ットの音は、何台ものシンセサイザーが自動演奏しているかのような音だった。ヨハン
が、
 「この音おもしろい。シンセサイザーや。」
と言った瞬間、マリーが、
 「うるさいわねえ。」
と言った。すると、コクピットの音は途切れ、そしてヨハンにだけ聴こえた。プレイア
デス人は、
 「これは、何台ものシンセサイザーを同時に鳴らしたら、こういう音になるよ。ヨハ
ン君は大人になったら、この音楽を作るよ。」
と、優しく説明してくれた。宇宙船は瞬く間に、プレイアデス星に到着した。プレイア
デス人は、様々な楽器で、集団で即興演奏をしていた。
 「ヨハン君、ここで音楽の修行をしてみないかね。」
 「やりたい。」
と、ヨハンが答えると同時に、マリーが、
 「家に帰りたい。」
と泣き出した。するとヨハンは、朝刊の新聞配達の事が気になりだしてきた。
 「朝までに帰らないと、新聞配達しなきゃ。」
プレイアデス人は、
 「ヨハン君はもう、新聞配達なんてしなくてもいいよ。」
 「でも、近所の人が、朝刊来なかったら困るから。」
とヨハンは答え、
 「そうか、みんなのために生きて行くんだね。わかったよ。戻ろう。」
 深夜UFOのスポットライトに招かれた子供数人は、朝7時頃帰って来た。ヨハンが、
 「神隠しにあった。」
と親戚が集まり、騒いでいた。ヨハンが庭から帰ってくると、
 「帰って来た。」
 「もう新聞配達なんてしなくていいからね。」
とおばさんが言ったが、
 「今からでもまだ間に合う。」
と、遅れた朝刊配達にヨハンは出た。



 第三章
    社会科学研究会

 「クリスティウ゛ァはヘルダーリンの詩の中に普遍的な記号を見つけている。」
 「ええ?そんなのできんのぉ?」
ヨハンとトモミが、深夜10時頃のキャンパスで、ビラを貼っていた。マルクス経済学
は、働きながら学ぶ者達のためにあると、立命館大学二部社会科学研究会のメンバー
は思っていた。商品論から剰余価値論へと至る、資本論第一巻の過程は、自分達が昼
間働いている時、起こっている事そのものだった。学生会館のサークル室に、ブレヒ
トの「学習を讃える」の詩が、壁に貼ってあった。
 「学ぶんだABCを、それだけでは足りないけど。」
 経済学部の学生に交って資本論を読むヨハンは、
 「文学部でエンゲルスは何の役にも立たない。」
と、エンゲルスとマルクスを離す作業をしていた。経済学部の先輩は、そういうヨハ
ンをよく注意した。自分達の学習のためにもちろんやっていた社会科学研究会に、顧
問の上田教授が現れた。
 「土台が上部構造を決定する。年収二百万円台の親の子供は二部だ。」
この、暴力的な構造主義の経済学者、上田教授の下、上田教授の指導する大学院生が、
社会科学研究会のチューターになった。もはやヨハン達は、上田教授の学内の権力争
いの駒同然に成り果てた。みんなは、昼間の労働と一緒に、夜間も労働しているよう
なものだった。サークルには疲労感が漂い、ヨハンは、
 「脱退する。」
と、置き手紙をサークルの扉に貼って辞めた。



 第四章
    墓庭の薄火

 二部自習室の窓から見える光景は、墓庭だった。深夜、墓庭の前で自習するヨハンは、
それが何か不思議な異空間であるかのような錯覚を覚えた。KANTの
CRITIQUE OF PURE REASONのTIME&SPACEの時空論から、主観的客観の構想、そして物
自体は人間には捉えられない、という不可知論。プラトン的イデアの飛翔を咎める厳格
なカントの主観的理性の定言命法。カントの英書を辞書を引きながら、自分なりの翻訳
を作っていくヨハンは、まるでそれがVAN DER GRAAF GENERATORのPETER HAMMILLの
書く歌詩の翻訳をずっと続けているかのような錯覚を憶えた。哲学とROCK思想。ブロッ
ヘン助教授にも、リシュルー講師にも、ましては、自治会の学生にすら、ヨハンは、学
問がROCK思想に通じるものがあるとは言えなかった。ただ、哲学生の求めるものは、
「自由」だ。そして、それが必然性の自由である、という結論が、納得できないものは、
サルトルを読み、ニーチェで自悦に浸る。滝沢克己の「自由の現在」、主体としてのイ
エスキリストの在り方を説く、その自由への在り方は、必然性の自由の王国に対する、
主体の焦繰感が良く書き著わしてある。それは、KING CRIMSONが、ROCK音楽で表現し
た、主体が客体へと至る過程の、絶望感と、自己が無化し、新しい自己へと生成してい
くことへの、焦りと、苛立ち、不安と希望の入り混ざった諦念のようなものへと、深化
していくのである。墓庭の中に、自習室の灯火が逆に、墓庭を照らし出す。ヨハンは、
この自習室の明かりの、墓庭への逆反射で、自分が、弁証法的に昇華していくのを感じ
た。



 第五章
    ペレストロイカ さらばモスクワ民青同盟

 1987年の立命館大学の学費値上げ反対闘争は、おそらく最後の学園闘争だったよう
に思われる。民主主義青年同盟員と日本共産党のみで行われた、その闘争という名の
遊びを、学園闘争と呼べるかどうかもわからない。
 バリケードの作り方を職員に教えてもらう学生、学生ストライキ中、ただ遊んでい
る学生達。教授会と職員、学生の全学自治を熱心にやり通そうとしているのは、学生
よりはむしろ、教授会や職員の方だった。学生は、遊び半分で、その闘争を遊んでい
た。そして、その中で、立命館大学は、一般の営利目的の大学に変わっていこうとし
ていた。
 ヨハンは、もうすぐソ連がなくなるのを、予感していた。ペレストロイカの波は、
ソウ゛ィエトの内部批判を、膨大に露出させ、こんなに内部批判が出るのは、タカが
緩んでる証拠だと思った。ヨハンが、DAS KAPITALをドイツ語原書で読んでも、
 「これは、一体なんのためにやっているのだろうか。」
と、自問自答する事が多くなっていった。
 世界恐慌になる直前、世界のコンピューターが、自動的に回避した、1987年。そ
して、不良債権を抱えながら、借金した金で、贅沢な暮らしをする人々が、1988年
に現れた。そして帳尻の上でだけ、資産価値を高めていく、バブル経済のモンキー
ビジネスが起こった。キャンパスは、ブランド品を身に付けた女子学生や、高級車を
乗り回す男子学生でいっぱいになった。上辺だけの豊かさを皆が求め、物の本質を見
る事はなくなっていった。地価が上がり、株価が上がり、不良債権者の借金は、帳尻
の上でだけ消されて行った。バブル経済というモンキービジネス。銀行は、
 「金を借りて下さい。」
と、セールスし、一億の融資の申し出に、三億の金を出した。
 マルクス経済学者が、
 「まだまだ株価は上がる。」
と吹聴して廻った。ソウ゛ィエトは、既になくなり、日本のモンキービジネスは絶好
調かのように思えた'90年代。1998年、バブルは弾けた。'88年に大学を去ったヨハンが
見た'98年の世界は、アメリカのユダヤ人が、日本の各地方を、高額なドルで競り落とし
ていくゲームだった。株価が急激に低下した。ヨハンが見た夢は、ソウ゛ィエトの終わり
と、日本経済の失敗の二重写しの実験映画のようなものだったのかも知れない。ただ、夜
間の校舎で、必死に自己否定する若者達の名前を、頭の中で消すためだけのために、ヨハ
ンは、'88年に首を吊った。仲間の名前は、すべて脳から飛び、消え去った。そしてヨハ
ンは、未だに彼等の名前を憶いだせない。さらばモスクワ民青同盟。墓庭の薄火が、再び
宇宙を旅する日の為の、生ける媒介達よ、さようなら。
 

墓庭の薄火

 投稿者:Zdbac Ubel  投稿日:2008年 7月 9日(水)20時16分32秒
   墓庭の薄火(ぼていのうすび)
                John Ubel


 第一章
    経済哲学研究会

 「僕の先輩のガトワーシュ講師という人は、経済学のメルクマールで一番冴えた研究
を発表していた。残念ながら自殺されたけどね。ガトワーシュ講師の三歳の愛弟子って
もしかしたら君かね?」
ブロッヘン助教授は、立命館大学夜間部二回生のヨハンにむかって、そう聴き問うた。
笑ってごまかすヨハン、バレバレだった。現役の助教授も出席する経済哲学研究会で、
ちゃんと予習してくるのはヨハンだけだった。ブロッヘン助教授は、ヨハンの
DAS KAPITALの訳し方で、
 「君、今三回生?」
 「君、今四回生?」
 「君、今大学院浪人生?」
と、聴き問うた。ブロッヘン助教授は、みんなの前で、暈けてるふりをして、ヨハンの
ドイツ語のレベルが上がっているのを、みんなの前で告げていった。


 第二章
    UFOのコクピット

 ヨハン11歳の時、数人の子供達と一緒にUFOのコクピットに集まった。コクピットの
中には、様々な機械装置類が並んでいた。爬虫類のようなそのプレイアデス人は、眼鏡
をかけていて、ヨハン達に語る言葉は日本語だった。ハーモナイザーがかかったような
声で、大気圏を脱出していくヨハン達のUFOの外の風景を説明していった。青い地球は
すぐ遠ざかり、宇宙船はすぐ、太陽系を出、銀河星雲の外へと移動していった。コクピ
ットの音は、何台ものシンセサイザーが自動演奏しているかのような音だった。ヨハン
が、
 「この音おもしろい。シンセサイザーや。」
と言った瞬間、マリーが、
 「うるさいわねえ。」
と言った。すると、コクピットの音は途切れ、そしてヨハンにだけ聴こえた。プレイア
デス人は、
 「これは、何台ものシンセサイザーを同時に鳴らしたら、こういう音になるよ。ヨハ
ン君は大人になったら、この音楽を作るよ。」
と、優しく説明してくれた。宇宙船は瞬く間に、プレイアデス星に到着した。プレイア
デス人は、様々な楽器で、集団で即興演奏をしていた。
 「ヨハン君、ここで音楽の修行をしてみないかね。」
 「やりたい。」
と、ヨハンが答えると同時に、マリーが、
 「家に帰りたい。」
と泣き出した。するとヨハンは、朝刊の新聞配達の事が気になりだしてきた。
 「朝までに帰らないと、新聞配達しなきゃ。」
プレイアデス人は、
 「ヨハン君はもう、新聞配達なんてしなくてもいいよ。」
 「でも、近所の人が、朝刊来なかったら困るから。」
とヨハンは答え、
 「そうか、みんなのために生きて行くんだね。わかったよ。戻ろう。」
 深夜UFOのスポットライトに招かれた子供数人は、朝7時頃帰って来た。ヨハンが、
 「神隠しにあった。」
と親戚が集まり、騒いでいた。ヨハンが庭から帰ってくると、
 「帰って来た。」
 「もう新聞配達なんてしなくていいからね。」
とおばさんが言ったが、
 「今からでもまだ間に合う。」
と、遅れた朝刊配達にヨハンは出た。



 第四章
    社会科学研究会

 「クリスティウ゛ァはヘルダーリンの詩の中に普遍的な記号を見つけている。」
 「ええ?そんなのできんのぉ?」
ヨハンとトモミが、深夜10時頃のキャンパスで、ビラを貼っていた。マルクス経済学
は、働きながら学ぶ者達のためにあると、立命館大学二部社会科学研究会のメンバー
は思っていた。商品論から剰余価値論へと至る、資本論第一巻の過程は、自分達が昼
間働いている時、起こっている事そのものだった。学生会館のサークル室に、ブレヒ
トの「学習を讃える」の詩が、壁に貼ってあった。
 「学ぶんだABCを、それだけでは足りないけど。」
 経済学部の学生に交って資本論を読むヨハンは、
 「文学部でエンゲルスは何の役にも立たない。」
と、エンゲルスとマルクスを離す作業をしていた。経済学部の先輩は、そういうヨハ
ンをよく注意した。自分達の学習のためにもちろんやっていた社会科学研究会に、顧
問の上田教授が現れた。
 「土台が上部構造を決定する。年収二百万円台の親の子供は二部だ。」
この、暴力的な構造主義の経済学者、上田教授の下、上田教授の指導する大学院生が、
社会科学研究会のチューターになった。もはやヨハン達は、上田教授の学内の権力争
いの駒同然に成り果てた。みんなは、昼間の労働と一緒に、夜間も労働しているよう
なものだった。サークルには疲労感が漂い、ヨハンは、
 「脱退する。」
と、置き手紙をサークルの扉に貼って辞めた。



 第四章
    墓庭の薄火

 二部自習室の窓から見える光景は、墓庭だった。深夜、墓庭の前で自習するヨハンは、
それが何か不思議な異空間であるかのような錯覚を覚えた。KANTの
CRITIQUE OF PURE REASONのTIME&SPACEの時空論から、主観的客観の構想、そして物
自体は人間には捉えられない、という不可知論。プラトン的イデアの飛翔を咎める厳格
なカントの主観的理性の定言命法。カントの英書を辞書を引きながら、自分なりの翻訳
を作っていくヨハンは、まるでそれがVAN DER GRAAF GENERATORのPETER HAMMILLの
書く歌詩の翻訳をずっと続けているかのような錯覚を憶えた。哲学とROCK思想。ブロッ
ヘン助教授にも、リシュルー講師にも、ましては、自治会の学生にすら、ヨハンは、学
問がROCK思想に通じるものがあるとは言えなかった。ただ、哲学生の求めるものは、
「自由」だ。そして、それが必然性の自由である、という結論が、納得できないものは、
サルトルを読み、ニーチェで自悦に浸る。滝沢克己の「自由の現在」、主体としてのイ
エスキリストの在り方を説く、その自由への在り方は、必然性の自由の王国に対する、
主体の焦繰感が良く書き著わしてある。それは、KING CRIMSONが、ROCK音楽で表現し
た、主体が客体へと至る過程の、絶望感と、自己が無化し、新しい自己へと生成してい
くことへの、焦りと、苛立ち、不安と希望の入り混ざった諦念のようなものへと、深化
していくのである。墓庭の中に、自習室の灯火が逆に、墓庭を照らし出す。ヨハンは、
この自習室の明かりの、墓庭への逆反射で、自分が、弁証法的に昇華していくのを感じ
た。



 第五章
    ペレストロイカ さらばモスクワ民青同盟

 1987年の立命館大学の学費値上げ反対闘争は、おそらく最後の学園闘争だったよう
に思われる。民主主義青年同盟員と日本共産党のみで行われた、その闘争という名の
遊びを、学園闘争と呼べるかどうかもわからない。
 バリケードの作り方を職員に教えてもらう学生、学生ストライキ中、ただ遊んでい
る学生達。教授会と職員、学生の全学自治を熱心にやり通そうとしているのは、学生
よりはむしろ、教授会や職員の方だった。学生は、遊び半分で、その闘争を遊んでい
た。そして、その中で、立命館大学は、一般の営利目的の大学に変わっていこうとし
ていた。
 ヨハンは、もうすぐソ連がなくなるのを、予感していた。ペレストロイカの波は、
ソウ゛ィエトの内部批判を、膨大に露出させ、こんなに内部批判が出るのは、タカが
緩んでる証拠だと思った。ヨハンが、DAS KAPITALをドイツ語原書で読んでも、
 「これは、一体なんのためにやっているのだろうか。」
と、自問自答する事が多くなっていった。
 世界恐慌になる直前、世界のコンピューターが、自動的に回避した、1987年。そ
して、不良債権を抱えながら、借金した金で、贅沢な暮らしをする人々が、1988年
に現れた。そして帳尻の上でだけ、資産価値を高めていく、バブル経済のモンキー
ビジネスが起こった。キャンパスは、ブランド品を身に付けた女子学生や、高級車を
乗り回す男子学生でいっぱいになった。上辺だけの豊かさを皆が求め、物の本質を見
る事はなくなっていった。地価が上がり、株価が上がり、不良債権者の借金は、帳尻
の上でだけ消されて行った。バブル経済というモンキービジネス。銀行は、
 「金を借りて下さい。」
と、セールスし、一億の融資の申し出に、三億の金を出した。
 マルクス経済学者が、
 「まだまだ株価は上がる。」
と吹聴して廻った。ソウ゛ィエトは、既になくなり、日本のモンキービジネスは絶好
調かのように思えた'90年代。1998年、バブルは弾けた。'88年に大学を去ったヨハンが
見た'98年の世界は、アメリカのユダヤ人が、日本の各地方を、高額なドルで競り落とし
ていくゲームだった。株価が急激に低下した。ヨハンが見た夢は、ソウ゛ィエトの終わり
と、日本経済の失敗の二重写しの実験映画のようなものだったのかも知れない。ただ、夜
間の校舎で、必死に自己否定する若者達の名前を、頭の中で消すためだけのために、ヨハ
ンは、'88年に首を吊った。仲間の名前は、すべて脳から飛び、消え去った。そしてヨハ
ンは、未だに彼等の名前を憶いだせない。さらばモスクワ民青同盟。墓庭の薄火が、再び
宇宙を旅する日の為の、生ける媒介達よ、さようなら。
 

いえいえどういたしまして。

 投稿者:Zdbac Ubel  投稿日:2008年 7月 2日(水)00時20分14秒
  最近のUBELの原稿は、
アカシックラヴレコーズ
TWISTED BROTHERS
Workin'Them Angels
イエスキリストの実在について
墓庭の薄火(ぼていのうすび)
など、書いております。
 

おねがいします

 投稿者:おざーきのぶゆーき41さい  投稿日:2008年 7月 1日(火)05時16分41秒
  げんこうありがとう!!  

おねがいします

 投稿者:おざーきのぶゆーき41さい  投稿日:2008年 7月 1日(火)05時16分41秒
  げんこうありがとう!!  

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